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働き方改革――労働市場制度の岐路に立つ
写真提供:GettyImages

働き方改革――労働市場制度の岐路に立つ

November 17, 2017

研究員、一橋大学経済研究所教授
神林龍

1. すでに総論賛成?

働き方改革、日本の労働市場での人々の働き方を変えようという議論が提起されて、いったいどれだけの時間がたっただろうか。衆議院議員総選挙も終わり、2017年末から2018年春にかけて一層議論が進められ、いくつかの案件については決着がつけられることになるだろう。とはいえもともとは、2017年9月末招集の臨時国会での大きな論点になり、紆余曲折が待っていると目されていた話題でもあった。ところが、いざ選挙に突入してしまうと、ほとんど口の端にも上らず、世論は働き方改革の行方を忘れてしまったようにも見える。

もちろん、働き方改革自体にはすでに国民的コンセンサスが成立しており、候補者間・政党間の対立点にはならなかったという解釈もありえる。考えてみると、働き方改革の政策目標自体はわかりやすく、「長時間労働の是正」、「正規・非正規格差の是正」、「就業率の増加」と要約でき、この三点の必要性に関して異を唱える人はいないだろう。換言すれば、すでに総論賛成で世論は一致しており、働き方改革を巡る論争点は各論、つまり具体的に提案された制度変更が、実際に上記の政策目標を達成するかという、いわば「技術的」論点に絞られてしまっているとも考えられる。もしこの解釈が正しければ、外交や財政方針などをめぐってイデオロギーを戦わせなければならない総選挙の論点とはならなかったとしても、不思議ではない。

ここで「技術的」という単語を加えたのには、上記3つの政策目標を達成したかは、事後的に検証可能でもあることを含意させたかったからである。労働基準法を改正して、長時間労働者が減少したのか、正規・非正規格差は是正されたのか、就業率は増加したのかは、原理的にはデータを用いて確かめられる。あらかじめ政策目標を注意深く定義し、改正の過程を慎重に設計しておきさえすれば、それほどの専門的知識がなくとも、当該制度変更後遠からずして、それが成功したのかどうかは確認できる。昨今、EBPM(Evidence Based Policy Making:証拠に基づいた政策立案)が喧伝されるが、一般に、事前に政策効果を厳密な意味で推定しておくのは難しい。しかし、立案される政策計画の中に、政策目標が達成されたかどうかを事後に検証する過程を実装し、必要なデータ収集と執行過程の工夫を入れ込んでおけばよいという考え方は、現実的だし十分実行可能だろう。わざわざ独立した機関を設立する必要もないし、検証過程に発生するバイアスの可能性も客観化できるという点で効率的でもある。

ここで重要なのは、こうした検証技術を各政策立案にどうカスタマイズするかは、もはや第一義的には労使交渉の問題ではないという点である。現在利用可能な専門的知識をかき集めて、ある程度のマン・アワーを投入すれば十分で(この領域にこそ経済学研究者が強く関与すべきであるというのが筆者の私見で)ある。換言すれば、労使代表がいくら時間を使っても、技術的論点を改善できる幅は大きくはない。

現在の働き方改革の議論に問題があったとすれば、膨大な時間が技術的問題に投入されたばかりでなく、泰山鳴動鼠一匹、結果するだろう果実がそれほど大きくはない、と予想されることではないだろうか。総論賛成がすでに成立しているとすれば、それは現行の労働市場制度を大きく変更するものではないことも示唆しており、大部分の有業者には、自分とは関係がないと理解されていると考えても矛盾はない。

2. 象徴としての働き方改革

では、「働き方改革はまったく意味のない議論だったのか?」と問われれば、そうではないだろう。筆者は、議論の着地点を労使の力関係のバロメーターとして解釈できると考えている。何らかの政策変更を主要課題として位置づけ、それが直接誰にどのような影響を及ぼすかは脇に置き、どちらがどれだけ引っ込むかという争いとして理解するわけである。

ある政策構想に関する議論を、何かの象徴と考えることは、実はそれほど珍しくない。筆者は、近年の働き方改革だけではなく、1980年代から続く、いわゆる労働者派遣法の制定・改正過程も、すべてではないが、この視角で解釈可能だと考えている。また、欧州における最近の例として、2017年にヤンカー欧州委員会委員長によって突如蒸し返された「欧州最低賃金構想(Europe-wide minimum wage)」が指摘できる。

もともと、この構想自体は左派を中心に細々と議論されていた。英国労働党のコービン党首が熱心に主張しているといえば、政治地図上の位置がわかりやすい。対して、北欧諸国を典型に、欧州では最低賃金が導入されていない国も少なくなく、こうした国々は欧州最低賃金構想に強く反発してきた。

この議論のねじれ具合が興味深い。デンマークやスウェーデンなどでは、広域の労使交渉によって最低の賃金水準を定めており、その水準はむしろ欧州最高水準であることはよく知られている。したがって、欧州最低賃金が導入されたとしても、自国の賃金を「バインドする」とはまったく考えられないのである。逆に、確実にバインドする(そして標準的経済学によれば雇用を失う)と考えられる中東欧諸国は、むしろ構想を歓迎する傾向にすらある。

欧州最低賃金構想の背後にある論理の一つが欧州内のソーシャルダンピング防止であることは隠されているわけではなく、導入に反対があるとすれば、自国の低賃金を武器として直接投資を引き付けられなくなる諸国のはずである。つまり、北欧などの高賃金国が反対する理由はなく、中東欧諸国など低賃金国が賛成する可能性は高くないはずなのだが、実際にはねじれた立場で議論が戦わされている。

その理由は、政府が賃金決定に介入するという最低賃金制度のもつ考え方自体に対する、拒絶反応にもあると考えられている。雇用や他の賃金に対する拡散効果など労働市場や製品市場に対する教科書的影響を考えるのであれば、バインドしない最低賃金には実体的意味がなく、導入に反対する理由はない。しかし、それを伝統的労使関係に対する介入だとみなせば、おのずと意味は異なってくる。社会主義計画経済の経験のある中東欧諸国では、労使を超越した欧州最低賃金の設定には、象徴的な意味での違和感はないのかもしれないし、北欧諸国は彼らの労使自治に対する重大な挑戦と受け止められるのかもしれない。

ある種の制度導入や制度変更が、実際的機能の良否ではなく、労使交渉の象徴として争われるという視点からみると、日本の働き方改革にはその実例としての側面があると考えてもよいのではないだろうか。こう考えると、最近の働き方改革の成果は、意外に労働側が譲歩しっぱなしになっているわけではないことを示唆する。他方、将来の自分の実際の働き方を見据えるうえでは、現在の働き方改革に関する議論を敷衍するのは賢いやり方とはいえない。

3. 働き方改革で念頭におくべきこと

もし実際に日本における働き方を変えたいのであれば、労働市場のルールの「決め方」を再確認する必要があると、筆者は考えている。日本の労働市場制度は、多かれ少なかれ労使自治の原則に貫かれ、第三者の直接的介入は極力控えられてきた。ところが、近年の非正規雇用の拡大や社会保障政策の要請から、従来の二者間関係の外側からの圧力が見え隠れするようになってきている。

非正規雇用の拡大は、正規雇用の縮小をもたらしたわけではなく、自営業を中心としたインフォーマル・セクターを代替してきたというのが筆者の持論だが、伝統的な労使関係はこの分野のビジネスにうまく浸透できていない。昨今耳目を集めたブラック企業も、おそらくこの分野で多くみられるのではないだろうか。労使がコミュニケーション障害を起こしてしまうと、賃金決定や労働時間調整など、日本の労働市場制度は肝心なところでうまく動かすことができない。労働基準監督署やハロー・ワークなど、最近になって労働市場のなかで政府機関の囁き声が耳につくのは、決して気のせいではないだろう。

また、世帯の生活保障を、政府を経由した再分配としてではなく、労使関係に直接担わせようという考え方も顕在化してきている。本来、労働市場の価格に対する介入である最低賃金に、生活保障的役割を担わせるとした最低賃金法の改正は典型例だろう。そこに、否定されたはずの生活保障賃金の残像をみるのは、筆者だけではないと思う。

この視点から日本の労働市場制度を眺めると、おそらく私たちは重要な岐路に立っている。すなわち、労使自治原則を再確認し労使コミュニケーションの再構築を急ぐか、労使自治原則の限界を認識して行政や司法など第三者による介入を多用するように制度変更を視野におくか、である。

働き方改革といえば、被用者は自らキャリア構築をしなければいけないだとか、企業の人事管理はこうしなければいけないだとか、具体的な指南にあふれかえっている。しかし筆者にとっては、数十年にも及ぶ特定個人の職業キャリア構築や、一円をめぐり鎬を削る特定企業の人事管理設計は複雑に過ぎ、手に余る。共通点として言えることはごく限られた一般的なことでしかない。

それに対して、労使自治の原則、換言すれば被用者と職場とのかかわり方という点では、被用者にせよ使用者にせよ、各人の考えることは、おそらくそれほど複雑ではない。まずは、日頃接している上司や部下・同僚との関係、自分に割り振られる仕事や割り振られていない仕事に対する心構えをどうするか、という職業人であれば常に直面している状況への対処を考えてみればよい。やはり当事者同士の擦り合わせを優先して人間関係を構築し、仕事の段取りを決めていくか、それとも自分の知識・判断を重んじるか、自分や上司、職場がどちらの方向を向いているか認識することは難しくはないだろう。それができれば、自分をとりまく制度の使い勝手を評価することができ、変更すべきところとそうではないところを判断するよりどころになる。

これからも続くだろう働き方改革の議論が、こうした個々人の内省を掬い上げ、集積させることができれば、日本の労働市場制度の変革を促すことになるだろうと筆者は考えている。

◆英語版はこちら "Getting Down-to-Earth about Work-Style Reform"

    • 神林 龍/Ryo Kambayashi
    • 元東京財団政策研究所主席研究員
    • 神林 龍
    • 神林 龍
    研究分野・主な関心領域
    • 労働経済
    • 法と経済
    • 日本経済史
    • 制度の経済学

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