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【書評】『外交官の誕生 ― 近代中国の対外態勢の変容と在外公館』箱田恵子著(名古屋大学出版会、2012年)

July 10, 2012

評者:川島真(東京大学大学院総合文化研究科准教授)


本書は、中国近代外交史研究の根源的問題に、精緻な実証力と卓抜した構想力を以て取り組もうとした意欲作である。その根源的問題とは、中国近代外交史に根付いてしまっている、「伝統」と「近代」の分離という問題である。この分野では、「夷務→洋務→外務→外交」という対外関係の変容が指摘されながらも、清代の「伝統」とされるコンテキストと、民国時期のナショナリズムに裏打ちされた「近代」の外交の叙述が分断され、両者の変容過程は十分に描かれてこなかったのである。

本書は、その問題を克服すべく、「近代」外交を担ったとされる職業外交官に注目する。なぜなら、彼らが育っていく過程はまさに「伝統」とされている時代であり、その彼らが「近代」とされる時代に活躍をするからである。この課題は、中国における職業外交官の成立という論点を提起した坂野正高に通じる。だが著者は坂野が外交官登用制度などの「制度」に比較的注目したのに対して、1870年代以来の在外公館に注目する。著者の設定する課題は明白である。それは、「『洋務』の一部として始まった清国在外公館において、外交それ自体の価値が認識されていく過程と、この外交交渉の現場において外交人材が養成され、その中から民国外交部の基礎を築く職業外交官が誕生する過程を明らかにしていきたい」(8頁)ということであった。

著者は、「洋務」の時代において、対外業務が伝統的支配原理(科挙官僚)に抵触するがゆえに、実際には中央政府ではなく、地方の総督、巡撫の主導のもとに展開され、それが近代中国の最大の特徴である地方分権化をもたらした点に注目し(7頁)、国家の代表機関である在外公館も、実質的には地方の洋務機関である「局」(洋務局)と同じ体制外機関としての性質をもっていること、特に両者は人材面で基盤を共有していたことを指摘し、その体制外機関での人材養成、また体制外機関が正規の制度に定着していく過程に、職業外交官が誕生していく姿を描き出そうとしたのである。

章立ては次のようになっている。「第I部 清朝在外公館の設立」は、「第一章 清朝による常駐使節の派遣」、「第二章 清朝による領事館の設立とその特徴」から成り、常駐使節の派遣等が必ずしも「伝統」から「近代」への転換を意味するものではなく、洋務の一断面を示すものだとされる。「第II部 1880年以降における中国外交の変化」は、まさに洋務の一環であった在外公館、あるいはそこに勤務した常駐使節による外交が分析され、そこに“近代外交”が涵養される過程を見いだそうとされる部分である。具体的には、張蔭桓(在華人襲撃事件 ―「第三章 在外華人保護の動きとその限界」)、曾紀澤(「第四章 滇緬界務交渉 ― 清朝外交イメージの形成 ― 清英「ビルマ・チベット協定」(1886年)を例として」)、薛福成(滇緬界務交渉 ― 「第五章 遠略に勤めざるの誤りを論ず ― 薛福成による新しい清朝外交の追求」)が分析される。このうち、著者はとくに薛福成に着目し、薛が「外務」という語を用いて、一国の政治を支える支柱のひとつとして位置づけたこと、在外公館を外務を司る重要な外政機関として位置づけたこと、などを指摘し、「清朝の対外関係を西洋の国際関係の中に位置づけようとする在外公使たちの外交は、当時の国際情勢とも相まって、薛福成に至って明確に自覚された外交論となり、本国に対しても、その意義が訴えられるようになった。そして在外公館の外政機関としての意義が『外務』という西洋諸国の外政を示す語を用いながら明確に論じられたのである」(155頁)と結論づけた。「第III部「外交官」の誕生とその特徴」は、三章からなる。「第六章 在外公館における外交人材の養成 ― 日清戦争までを中心に ―」、「第七章 外交制度改革と在外公館 ― 日露戦後の人事改革制度を中心として」、「第八章 「外交官」たちの国際認識」である。ここでは、清の正式の官僚組織の外側に、洋務に対応する為の体制外制ができ、時代の要請に応じた洋務の実務が拡大する過程で人材養成もおこなわれたことが指摘され、その人材養成の場としての在外公館の重要性が改めて指摘され、「良くも悪くも清末から民国の過渡的な外交制度を成り立たせたのではないだろうか」(216頁)とされる。確かに、北京の総理衙門章京からは、公使などとなる人材は出てこないし、清の設けた儲才館からそれほど多くの外交官は養成されなかったのである。

以上のように、本書は洋務人材の体制外拡大と体制内制度化への過程、人材養成の場としての在外公館の重要性を指摘し、冒頭で述べた中国近代外交史の根源的問題に取り組もうとした好著である。本書によって、従来「伝統」と「近代」に引き裂かれていた中国近代外交史の叙述を修復して、歴史化することに向けての手だてが示されたということであろう。

無論、本書を一読して議論してみたい点や疑問がないということではない。第一に、本書でとりあげられている銭恂がそうであったように、公使館勤務者の全員が民国期になって外交官として活躍したわけではないし、民国期に活躍した外交官のすべてが清代に公使館勤務を経験したわけではない、ということをどう考えるかということである。洋務の時代の在外公館の機能や役割、そしてそこに外務、外交に至るひとつの経路があったことは確かであろう。だが、他の経路がなかったか、あるいは他の経路との間で在外公館にはどのような特徴があるのか、といったことは今後の課題となろう。

第二に、公使館を経由した人材に注目するとしても、公使館以前の経歴、公使館以後の経歴などをどのように見るか、ということがある。これは、公使館に勤務した誰もが民国期の外交官として活躍したわけではない、という論点にも通じる。たとえば、海外留学をしてから在外公館に勤務した人物をどう見るか、ということがある。

第三に、本書でも言及されている、清の各地方にて対外事務をおこなっていた「局」という場と「在外公館」という場の間の相互連関である。それぞれが、洋務の時代に人材を育んだ場であるが、それぞれの相違、連関について、より踏み込んだ説明が求められるだろう。民国期にも、中国国内に多くの対外交渉人材がいた。顧維鈞、施肇基、顔恵慶などは海外で活躍した外交官として有名だが、中国国内の交渉署に勤務した者も多かったし、ウランバートルに赴任した陳籙などといった人物もいた。

第四に、本書の重点が19世紀後半の「洋務」の時代におかれていることもあり、1901年の外務部設立以後の「外務」の時代の分析部分については、問題提起と今後の見通しを示したものであるという印象を受ける。これは著者が、今後も「外務」から「外交」に至る接合面に継続して取り組まれるというメッセージであると受け止めたい。

これらの論点について著者と対話したいところであるが、いずれにしても、本書が従来の中国近代外交史研究の大きな問題点に挑んだ意欲作であり、その問題の解決に向けての道筋を示した功績は大きい。それだけに、本書は中国史研究者のみならず、広範な分野の研究者の目に触れていくことを期待したい。

    • 政治外交検証研究会メンバー/東京大学大学院総合文化研究科教授
    • 川島 真
    • 川島 真

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