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〔対談〕日英の比較からプライマリ・ケアを考える(下):日本の制度改革に向けたヒント

September 18, 2015

対談シリーズ「医療保険の制度改革に向けて」
日英の比較からプライマリ・ケアを考える(下):日本の制度改革に向けたヒント

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質の評価、エビデンスの重要性

三原: 先ほど少し話に出ましたけど、イギリスではがんの疑いがある場合、「GPにかかった後、2週間以内に各科専門医にかかる患者を95%とする」などの目標を掲げていると聞きましたが、そういう目標が毎年掲げられるわけですか。

澤: 目標というか、目指すべき目安といった感じです。

三原: 日本では「目標を掲げて、関係者で頑張ろう」という政策が少ない。と言うのも、目標を掲げて改善するには課題を把握するだけでなく、課題解決のリソースも把握し、それについて関係者が合意する必要がある。日本の場合、そうした政策形成プロセスは残念ながら余り見られません。

澤: 外から見る限り、日本は医療システムのパフォーマンスが見えにくい面があります。医療の質評価など外からのチェックというのはどれくらい行われているのでしょうか。イギリスの場合はピアレビューや外部監査というのは結構行われています。

三原: 日本は1961 年の国民皆保険完成と同時に、1962 年に制限診療を撤廃したことで、医療のほぼ全てが公的保険に入りました。しかし、この過程で価格については、政府が報酬改定でコントロールするものの、医療の内容に関して政府は口を出せないことになりました。昨年11月に示されたOECD(経済協力開発機構)のリポート [1] も「質に関するイニシアチブが制度レベルで組み込まれていない」と指摘しています。最近はエビデンスを基にした医療政策が少しずつ展開されようとしているので [2] ので、これから期待したいと思っています。

澤: 医療の標準化といった視点からは、ピアレビューが機能するグループ診療など色々なやり方があると思いますが、健康問題をコード化する電子カルテを導入するのも効果的と思います。コード化すれば健康問題が見えるようになるし、イギリスではデータがそのままリサーチにリンクされることが多い。その結果、エビデンスを出しやすくなるし、それに基づいた診療が可能になります。

三原: 日本の場合、大病院からDPC(診断群分類)を入れて、そのデータを公表することになったので、国にDPCのデータが集まっています。しかし、診療所のデータが集積されておらず、エビデンスに基づいた議論もなされていません。

澤: データが整備されていないと評価することは難しい。

三原: 患者も判断できない。それに住民が医療政策に参加しようとしても、データが開示されていないと、地域の課題も見えないので、何を議論して良いかも分からない。

澤: イギリスでも全ての情報が整備されていて、それら全てが開かれているわけではないですが、多くの場合で一般市民も確認できます。

三原: それがボトムアップの政策の原点になっていると思っています。そういう情報があるため、患者はGPによる支援を受けつつ、納得感を持って自己決定できるわけですよね。しかし、今の日本には存在しないため、「有名な雑誌に載っていたから」「雑誌のランキングで上位だったから」という理由で選ぶことになる。

澤: そうなると、医学的根拠に関係なく、風邪には抗生剤、不眠症には睡眠薬、頭痛にはCTといった「消費者中心」の歪な医療に繋がるリスクが出てくるのではないでしょうか。イギリスのプライマリ・ケアでは、有名な雑誌に載るような「名医」的な医者をほとんど見かけません。どちらかと言うと、「グッドドクター(良医)」が近くにいる感覚です。

三原: そう考えると、実は日本のフリーアクセスは便利な反面、残酷とも言えます。制度上では「患者は医療機関を選べます」と言われているが、情報の非対称性が大きく、患者の満足度なども公表されていないため、どの医者にかかって良いか分からない。医療の専門化と高度化が進んでいる中で、自分の症状に応じて医者や診療科を選ばなければならないし、患者は代理人の支援を受けられないまま、自己決定しなければならない状況です。

プライマリ・ケアの制度化に向けて

三原: 日本では1980年代、厚生省(当時)が「家庭医に関する懇談会」を設置し、GPに近いプライマリ・ケア専門医を育成しようとしました。この動きに対しては、診療団体が「医療の国家管理に繋がる」「医療費抑制の手段になる」と反発したことで頓挫したのですが、GPに似た専門医として、2017年度に総合診療医が誕生するなど、日本でもプライマリ・ケアに対する関心が高くなっています。日本の課題をどう見ていますか。

澤: 新しい総合診療医の誕生は歴史的な出来事だと思っています。最近、総合診療医の専門性についても報告書が出ました [3] 。日本の場合、総合診療医には病院に勤める病院総合医も含まれるのに対し、イギリスのGPは基本、病棟を診ませんが、お互いの学術的基盤は同一だと理解しています。でも、総合診療医が効果を発揮するとともに、医療システム全体の機能も改善するには、いくつかの望まれる政策的条件があると考えています。

三原: そこは同感です。OECDの報告書を見ても、「プライマリ・ケア専門医を増やすべきだ」と言っているものの、彼らの指摘は医者の育成に限りません。私は一言で言えば、総合診療医をどうやって上手く「二重スパイ」にするかだと思っています。イギリスのGPを見ると、患者の「代理人」として全人的かつ継続的なケアを提供する一方、人頭払いなどの仕組みを通じて費用節約にも関与している。日本の総合診療医についても、澤さんが指摘される通り、プライマリ・ケア専門医としての能力が必要なので、ケアを責任的に提供する人材を生み出す点では確かに前進です。しかし、ケアの提供主体がコスト節約に対しても関与することで、「責任を持って全人的かつ継続的なケアを提供する」という患者の利益と、「費用節約に関与する」という社会の利益を共存させる「二重スパイ」にしていく必要があると思っています。

澤: NHSの特徴的な仕組みとして、「ゲートキーパー制度」と「登録制」の二つがあります。継続的かつ包括的に人間中心のケアを提供する上で、これらが政策上重要な位置を占めます。ゲートキーパー制度は、低リスクの集団を過度の医療化(医学的な問題では解決しない課題についても、医療によるケアを進めること)から守ると同時に、高リスクの集団を必要な医療につなげる機能を持っています。医療を必要としない健康な人から医療を遠ざけ、医療を必要とする病人に医療を近付けるということです。登録制によって責任の所在が明確になり、GPは患者の伴奏者へと姿を変えることができます。

三原: GPが代理人として全人的かつ継続的なケアを提供する上では、窓口を1つに絞り込む必要があるということですね。日本では1980年代の「家庭医」創設が失敗した後、「かかりつけ医」という言葉が作られ、その定義は近年GPに近付いていてきました [4] が、臓器・疾病別にかかりつけ医を持つことも可能であり、全人的かつ継続的なケアは提供されるとは限らない。登録制は有力な選択肢と思っており、提言でも信任関係に基づいて代理人契約を結ぶことで、一種の登録制に近いシステムを示しました。しかし、政策論として、登録する際の自由度をどうするか考える必要があります。今のイギリスみたいに登録を義務付けるけど自由に選ばせる方法が考えられる一方、登録自体も任意にして登録しない場合、初診料を高くする選択肢も有り得ます。

澤: イギリスの若い世代は人間的な繋がりよりもアクセスを求める傾向にあると個人的には感じています。このため、昔の主治医制みたいに自由度を下げると、クレームが多くなるかもしれません。現在は複数のGPによるグループ診療が主流なので、例えば、ある医師をかかりつけ医として受診しても他の医師にかかっても良いし、その診療所が気に入らない場合、いつでも登録を変更して他の診療所を受診できる。イギリスは登録制を維持しつつ、その柔軟性を高める道を選択してきました。

三原: つまり、登録制度が信任のベース、長期的な関係を継続し、全人的かつ継続的なケアを信任関係に提供する上でのベースということでしょうか。

澤: 仰る通りです。イギリスでは診療所への登録制を用いて、医療サービスへの入口を1つにしているため、住民と診療所との繋がりが長期になる場合が少なくありません。そのため、患者は自分や自分の周りこと、いわゆる「自分の物語」を知っているスタッフからサービスを受ける可能性が高く、医師と患者の間で信任関係も生まれやすい。多くのGPはこのような個人的な繋がりに強いやりがいを感じ、患者が亡くなった後に家族と一緒に葬式に参列する者も少なくありません。このような特別な関係は患者にとっても自分の行動を変える最大の動機に繋がることも感じています。医療で治癒できない慢性疾患の割合が増えている現代では大きな意味を持つのではないでしょうか。

三原: 日本でプライマリ・ケアを制度化する上でも、ここは重要な部分になると思っています。我々の提言は患者の代理人となる「地域ケア・グループ」を創設し、代理人契約を結ぶことでゲートキーパー機能を持たせることとし、患者には契約先を変更する自由を認めるという考え方を示しており、一種の登録制に近くなります。OECDの報告書も、継続的で協調したケアを支援する上で登録制を導入する必要性と、登録制の結果次第で報酬制度を人頭割にすべきだと書いています。

澤: 日本で言われている地域包括ケアには「地域」が付きますよね。となると、まずは「地域」の範囲を確定させる必要があると思うのですが、日本ではそれをどう実現しているのでしょうか。イギリスでは、登録制がベースになっているので、僕の言う「地域」とは、僕の診療所に登録している約8,500人の登録住民を指します。そして、電子カルテを使うことによって、「高血圧患者は1500人」「その内、血圧が150/90mmHg以下にコントロールされている患者数は1200人」といった具合に地域の健康ニーズが可視化できます。登録制は、地域を診る視点も助けてくれるんです。

三原: 確かに日本の場合、フリーアクセスだから「地域」が見えにくい面はあるかもしれません。しかし、昔のイギリスみたいに自由度がない登録制にすると、過小診療、過剰診療などモラルハザードが起きてしまう。このため、患者の自己決定を重視しつつ、診療所や病院を選べるようにして行くべきではないかと思っています。その結果、患者に対してケアの責任も問えます。最初は義務付けじゃなくてもいいので、任意で導入するケースもあり得るかもしれません。

在宅医療の在り方

三原: 日本では近年、地域包括ケアの一環として在宅医療を進めています。しかし、その報酬制度はおかしいと思っています。先日、日本の若い家庭医の話を聞いた時、「ニーズに応じず、1カ月に2回自宅を訪問する」と言うので、「1カ月に2回行く理由は何ですか」と聞くと、「嫌なことを聞くな~」という表情を見せつつ、「報酬制度があるためです」と答えました。これは患者の状態に関わらず、在宅診療に月2回行けば加算を受け取れる「在宅時医学総合管理料」があるためです。先日、別の医師が「訪問診療は月2回行くことだ」と公言しているのを見て、「ここまで制度が人の行動や心理を縛るのか」と唖然としました。

澤: 医療ニーズにかかわらず、医師が定期的に訪問することのメリットはあると思いますが、そのデメリットも議論していく必要があると思います。

三原: さらに言うと、2014年度の診療報酬改定で、複数の病気がある患者に対して主治医制度に加算するシステムができたのですが、これがプライマリ・ケア的には有り得ない。国の資料によると、「高血圧症、糖尿病、脂質異常症、認知症のうち2つ以上持つ患者に対する全人的、かつ継続的なケアを提供する医師に加算する」としており、病気に着目している点で医学的な視点に偏っている。段階的に導入しなければならない事情は分かりますが、プライマリ・ケアに反すると思っています。誤解を恐れずに言えば、日本の地域包括ケアは「プライマリ・メディカル・ケア」なのかもしれません。特に、この傾向は医療関係者に顕著です。本当は患者の生活や地域の課題をベースに、医療・介護サービスだけでなく、制度に基づかない社会的な支援も含めて、ケアを統合・調整する必要があるのですが、出来高払いでは医療行為が優先されるため、どうしても医療の論理が前面に出てしまいます。しかし、これは医療社会学が言う「専門家支配」。つまり我々の日常生活を専門家が支配することにつながります。本来、地域包括ケアとは個別の生活や課題に応じてケアがカスタマイズされる必要があります。例えば、10人の住民がいれば、10人のニーズがあるし、個別の状況も違う。同じ人だったとしても、家族4人で住んでいる場合、子どもが自立して2人暮らしになった場合、妻を亡くして1人になった場合、ニーズやケアの中身は変わってきます。

澤: 出来高払い制度は、医療の量を増やすためには有効な診療報酬制度の一つなので、治癒可能な疾患を抱える人や、医療を必要とする人が多い環境では効果的かもしれません。しかし、現在では高血圧や糖尿病など医学では治すことができない病気を抱える人が多くいます。それにプライマリ・ケアは、病院と違い比較的、健康的な集団を診る環境ですし、社会の価値観も「治療からケア」「延命から人生の質の向上」「医師中心から患者中心」に変化しています。これらの要因を考慮すると、現存制度以外も幅広く議論する時期にさしかかっているのかもしれません。どこの国でも、変わりゆく社会のニーズに応じて診療報酬制度の仕組みを変えていくことは必要不可欠でしょうから。

市民参加とボトムアップの制度運営

澤: 多くのイギリス人は、NHSの存在を高く評価しています。2012年のロンドンオリンピックの開会式でも、「NHS」が出てきました。お金をどれくらい持っているかの富の保有ではなく、助けをどれくらい必要とするのかの健康のニーズによって医療が提供されるNHSは、サービスという枠組みを超え、社会のインフラとして必要不可欠な存在です。さらに、放っておくと自然と分断される社会を結束させる大きな力になっています。NHSの根底に流れる哲学を表現すると「公平、無料、連帯」と思います。

三原: 制度の根底に流れる哲学という点では、提言は社会保障制度の基軸として「助け合い意識に基づく連帯」を掲げたほか、市民や患者の「参加」を重視したつもりです。まず、医療サービスにおける参加です。澤さんは患者と接する中で、患者と認識を共有して情報を与えることで、自己決定を促していると思います。その結果、情報の非対称性があるにもかかわらず、ケアの内容について患者は納得し、満足しています。さらに、医療政策でも住民が参加し、満足度を引き上げる形が必要なのではないでしょうか。

澤: 医療は全国民的な課題ですし、一部の人々の手だけに委ねることは望ましくないので、僕も患者や一般市民の参加は欠かせないと思います。

三原: 中でも、提言は直接参加の重要性を指摘しています。元々、福祉国家では国家が国民の生活に直接介入する結果、社会における行政機関の役割が大きくなります。その結果として社会における市民の役割が小さくなり、市民の主体性が失われる結果を生みかねない。つまり、民主主義を支える福祉国家が市民の主体性を奪い、民主主義を阻害するパラドックスが起きる。イギリスの福祉国家の最初になった報告書である『ベヴァリッジ報告 社会保険および関連サービス』では基本原則として、「社会保障は国と個人の協力によって達成されるべきである。国家は保障を組織化するにあたって、個人の意欲や機会、責任感をひるませるようなことがあってはならない」と書いている。これが公表されたのは1942年。まだイギリスが枢軸国と戦争している時期です。この時点で「国民の自立や参加があって初めて社会保障、福祉国家として成り立つ」という考え方が示されている。さらに、提言で注目した社会保険方式とは保険集団に加入する被保険者が生活上のリスク、医療保険で言えば病気のリスクをシェアするシステムです。そこには被保険者の参加があるべきと考えます。例えば、被保険者の1人が物凄く医療費を使っている場合、「その分、私達の保険料が上がっているのですが、この医療費は要るのですか」などと議論しつつ、負担と給付(受益)を自律的に考えられるのが社会保険方式の良い所です。つまり、社会保険方式とは被保険者の参加、自治を根底にしているシステムです。さらに言うと、社会保障の民主的統制は間接民主制だけでは難しい面があります。なぜかと言うと、政策決定プロセスにアクセスできない人が生まれるためです。例えば、高齢者や障害者、貧しい人、難病の人は社会から孤立している可能性が高く、多数派の意見を尊重する間接民主制のプロセスに反映されない。その結果、提供サービスや制度が画一化するリスクが出て来ます。だからこそ住民や患者による参加は必要と考えています。

澤: 僕達の診療所でも3ヵ月に1回、「Patient Participation Group Meeting:PPGM」という診療所スタッフと登録住民とで話し合いを行っています。そうした過程を通して地域住民のニーズを把握し、提供するサービスに反映させていく。いわば、住民から診療所へのボトムアップの医療サービスを目指しています。例えば、外来の受付時間で言うと、以前は平日午前8時~午後6時半でしたが、住民から見直しを求める声が上がりました。丁度その時、診療時間を延ばすと診療所に追加報酬が入る政策上のサポートもあり、住民との話し合いの末、隔週土曜日の午前中も外来を受け付けるように変更しました。逆に週末はやっておらず、その分平日の夜8時くらいまで開いている診療所があります。また、外来予約のシステムも診療所ごとに違います。例えば、リーズの近くにブラッドフォードと呼ばれる街があり、そこにはパキスタン出身の住民が多くいるのですが、予約を必要としないオープン外来を提供する診療所がいくつも存在すると聞いています。その分、待ち時間が長くなり、一人当たりの診察時間が短くなる傾向にありますが、その地域住民のニーズに合った医療提供体制と言えます。

三原: PPGMとはどんな感じで運営するのですか。

澤: 場所は診療所の待合室で、参加する住民は毎回10~20人ほどです。元校長先生がチェアマンとして運営しつつ、参加者全員で改善策を話し合います。特徴的なのは公共意識が強い点です。例えば、診断書の更新について、「医師と患者との対面診察ではなく、電話相談での対応の方が良いのでは」と参加者の一人から提案がありました。「電話相談の場合、1人5分ぐらいで終わるが、外来だと1人10分。これを電話相談に切り替えれば、同じ時間で2件、同じ問題に対応できるし、私たち患者にとってもそっちの方が楽だ」と。その結果、多くの参加者が賛成し、「電話相談での対応を勧めるように受付に言ってもらおう」と変えることになりました。こんな形でフィードバックをもらい、これは良かったとか、逆に不人気だったとか、継続的に対話が続くわけです。

三原: 残念ながら日本の場合、「患者中心医療」と言うと、「患者の言うことは全部聞かなきゃいけない」と理解されている面があるのですが…。

澤: それは「患者中心」ではなく「消費者中心」に聞こえます。PPGMの参加者は患者なので、決して「消費者」「お客様」ではありません。お互いが責任を持ち、医療サービスを一緒に作り上げていくパートナーだと思っています。

三原: 事実上の国営医療なのに、住民や患者とパートナーシップを持ちつつ、現場に即した運営となっているのは興味深いです。日英の違いを踏まえつつ、日本のシステムでも患者や住民の参加を担保する必要があると痛感しました。長時間、有り難うございました。

(この対談は2015年6月18日、東京財団会議室で行われました)

[1] OECD(2014)“OECD Reviews of Health Care Quality:Japan RAISING STANDARDS Assessment and Recommendations”「医療の質レビュー 日本 スタンダードの引き上げ 評価と提言」。
[2] レセプト(診療報酬支払明細書)や健診データの解析が進みつつある。
[3] 日本専門医機構が今年5月、総合診療医の核に求められる能力(コアコンピタンシー)を公表し、「人間中心の医療・ケア」「包括的統合アプローチ」「連携重視のマネジメント」など6点を挙げた。
[4] 日本医師会などが2013年に公表した定義では「日常行う診療においては患者の生活背景を把握し、適切な診療及び保健指導を行い、自己の専門性を超えて診療や指導を行えない場合、地域の医師、医療機関等と協力して解決策を提供する」など4つの要件を示した。
    • 家庭医
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